mixi

をやろうかどうか迷っている。
■メリット
色々な新しい知り合いとの広がりや
自分もそうやって人と人の間にはいり、いい感じでみんなが知り合っていったらよいな。
■デメリット
というか、友達(マイミクシィーと呼ぶらしい)の数が
自分の名前の横に表示されているというのが何かやだ。
俺だと 馬野幹(48)
名前の次に重要なステータスが友達の数というのが何というか、とてもいやだ。
その数が多くても少なくてもとてもいやだ。
ドラクエでいうとLvとか最大HPなわけでしょう。
俺の中では
馬野幹(0)か、馬野幹(全員)ならありうると考えている。


あと、offの場というかそういうところでミクシイーの話しになったりするのがとてもいやだ。
「マイミクしましょうよ」とかそういう話の展開になるのがいやだ。
「いやです」ともいえないだろうし。
誰がマイミクで誰がマイミクでないとか、そういう人間関係tickな面倒臭いことに時間をとられたくないとか、
コミニュケーションの本分はREALなわけじゃない。
マイミクしましょうよ?というか
今度朝まで飲みましょうよ、というのなら話も分かる。
まあでもみんな忙しいし、仕方ないのかもしれない。
傷つくのはいやだし、
価値観の多様化とか色々不安要素があって
こっそりネットやチャットで世界とは一体どういうものなのか、
ということを試しているのかも知れない。わからない。


あとまぁ色々ある。
仕事から帰ってきてまずmixiを観る自分を想像すると泣ける、とか
だいたい、照れ屋なので「マイミク」とか口にするのが恥ずかしいとか。
「知り合い」と「友達」の定義を考えてそれをみんなに公開しなくちゃならないとか
人を傷つけてしまうようなことや無責任なことを(新しい語と語の組み合わせの実験をしている時、
つまり既成の世界に対する破壊と解体の実験、=必然的に社会的に無責任な言葉が多く書かれるのは当然なことなのだけれど
悪意がないからといってもそれが通用しないのが実社会なわけで
そのなかで少なくとも詩の小さな集まりなりのなかで責任を負う発言をしなければならないというプレッシャーうんぬんを絡めてみてなお、
ミクシーをやることにメリットを見出せばやる。ということだろうか。

だから逆に「夢日記」とか「事実日記」(今日は何々をしてだれだれと会いました等)の
コンセプチャルなものなら、ってのもあるが少し面倒くさい気もする。


とりあえず確実に俺が思うデメリットがメリットを越さない限りやらないけれど
もしやりはじめたら仲良くしてください。orx


まあ考えすぎかもしれない。