拡大再生産しようか、路地と路地の隙間に座って休憩しようか考え中っていうか
やっぱりその布団を干したり鏡を磨いたりする生活の楽しみも
捨て置くべきではないと思うのだたぶん。
詩の活動はやればやるだけお金が減っていく。
10分間の納得のステージを作るのにその前後三日の生活が揺ら
し、まわりの人たちに迷惑をかける
親に金を借りて公共料金を滞納したまま遠くの地に朗読に出かける
だがオレはゲスト詩人だという
TSUTAYA鷺宮店に詩の雑誌は一冊も置いていなかった
これが現実だ
シーンっていうか、シーンの存在自体あやしくない?
表現の一形態としての「詩」の位置と重要性について。
先日のUPJ3の打ち上げで三上寛さんに「詩の賞を作ったらいい」というようなことを言われた
オレは最初`賞じゃなくてShowだ`と勘違いしていて「はぁ」などと言っていたがなるほどなぁと思った。
既にある詩の賞に疑問や不満感があるのなら
そういうことで
新しい価値基準にあった詩の賞の設立とか
それはちゃんと「社会」の方角を向いているべきだと思う。
それは新聞に載る価値があって、
芥川賞直木賞と同等かそれ以上に扱われるべきだ。
30年後ぐらいにはそういうことも叶うんとじゃないかしら。

行方知レズは13曲目の「ありふれた話」だけが少し良かった
あとは全体的に 疲れ がみえた