万華鏡学、詩と哲学

考古学者が遺跡を発掘し、人類の歴史の過去が変わることが現実に起きる条件
化学者が新しい物質をみつける発生条件(風呂に入って研究テーマとは別のことについてぼっーと考えるなども含む)
新しい言葉が作られる発生条件
死の発生条件、死というルール、死という約束事
魔法の発生条件


宿命的に解明されないものについての輪郭を感覚的に言語化することが趣旨なので
一本筋の通った理屈の構築や誰にでも分かる理論の構成を詩の場合必要としない。
「会話」には限界がある
っつーか、「会話」はほとんど無様で物足りない。
哲学(宇宙に関する自分の知識を体系化すること コリン・ウィルソン)が
感性(感覚的な全体像の知覚、一体感)
を育てるのであるから、
「証明」や「客観性」、「科学」というものが、
常にある種のゲーム(人間と動物の境界を形作る)を台無しにすることになってしまってはいないだろうか?


まあ俺は算数も小5でやめたし、脳のある部分がSTOPかかっているような状態かも知れないので、もしかして理屈として見所のないものにこだわって、喚いている場合もこのはてなダイアリーの日記においても多々あるところかとは思うが。