ウエノポエトリカンジャムと詩


イベント翌日は電車で寝てしまって
あっちの終点に行ったりこっちの終点に行ったりして
スタッフでもあり職場仲間でもあった敬々さんと
一緒にテントとちょうちんを返す予定だったんだけれどすっぽかしてしまい
これは今でも半年に一度はおもい出して
3秒くらいはリーダーとして情けないなあと思う。


だいたいのことは
みんなが大目にみてくれたからうまくいったのではないか
だけれど多分革命はおきなかった
日本の詩のシーンではなく
日本の言葉のシーンに何かが起きただろうか
つまり俺たちの生活の場そのもので


レポートは
詩の雑誌で2誌、詩学とミッドナイトプレス
フジロックフェスとかを主催しているSmash!と
五部の司会を務めてくださった和合亮一さんが
ウエノポエトリカンジャムの姿勢に感動してくださり
幾つかの紙面で紹介していただいた


シンジュクスポークンワーズスラムという
詩に限らず
声と言葉を扱い賞金を競い合うイベントで〔詩人、ラッパー、お笑い、その他何でもいい〕
俺は予選トーナメント、チャンピオントーナメント、グランドチャンピオントーナメントを勝ちあがり
30万円を手にした
俺は3日で30万、詩で稼いだ
それから日本で最大の詩のイベントの実行委員長を務めた
せめて多少は俺の生活は変わるのかと思った


TOKYOポエケットという
詩のコミケというか文学フリマみたいなのが一年に一度あるのだけれど
そこに個人でブースを出し
馬野幹攻略本」と
「下敷きで光を」を売った
だが予想以上に売れなかったw
「下敷きで光を」はネットで詩集販売などを手がけるポエトリージャパンから
200部限定に売りに出したが2009年6月現在なおまだ売れ残っている。
1、SSWS〔シンジュクスポークンワーズスラム〕で優勝したこと
2、ウエノポエトリカンジャム3の実行委員長を務めたことで
俺は現代詩手帖とかから取材が来るのかと思っていた
けど何もなかった
巻頭特集とかを組まれるのかと思った
へそを見せたりして
グラビアで。
けど、たぶんそんなことどーでもいいことというか
彼らのアンテナに期待しすぎた



自分が詩の世界にいることに徐々に限界を感じ出した
ミキさんすごいですねとか言われてもただ金が減って
精神がおかしくなっていくなんだもん
自分が主催している高円寺での月1の朗読会で俺は寝ていたことがあった
毎月、次で朗読会をやめよう
あるいは次で詩の朗読はやめようと考えていた
これは単にお金や将来への展望とかいう打算的なことだけでなく
俺なりにやばかったからだ
キムは
http://hwm5.gyao.ne.jp/miki1973/p-kim.htm
秋葉原の個室ビデオでオナニーしながら書いた
俺は勃起させたちんぽを射精しないまま山手線にのった
高円寺の無力無善寺で約3年続けた
はみだしっ子たちの朗読会を解散した。


ある書店から詩集500部作らないかという話があったが
キムの掲載の是非で話が折れ
俺が断った
たぶんキムは下品だからだろう
でこういうものを発表しないと意味がないんじゃないだろうか
その後幾つかの出版社にキムを主題とした詩集を送ったが返事はなかった


ほどなくして
たかが2ちゃんねるで詩を書いたり朗読会をしていた俺を
詩学という伝統ある雑誌に拾ってくれた寺西さんが逝ってしまった
最後にあったのは多分俺だろう
そして最初に見つけたのも俺だろう
一緒に飲んだ紙パックの酒がそのままおいてあった
かつては岡本太郎
谷川俊太郎も書いた詩学の社長が
俺が行かなければ誰にも発見されないというのは
あんまりにもさみしすぎる
大家さんが警察をよぴにいく間
俺は寺西さんのそばに立っていた。
それからなぜか詩学社の在庫についてやたらと問い合わせてくる奴がいて
お前は誰なんだと思った。



つづく












SSWS http://www.marz.jp/ssws/
TOKYOポエケット http://www.poeket.com/
ポエトリージャパン http://www.poetry.ne.jp/
はみだしっ子たちの朗読会 http://page.freett.com/roudoku/