2010-03-28 ベンズカフェで朗読したもの


海辺の
静かな
四角い
巨大建造物から抜け出す
スリッパと
パジャマで
財布は手持ちで


船はないのに
汽笛が聞こえ
線路はないのに
蒸気機関車に追われ
過剰な発汗により
手足は常にふやけた
入道雲
遠い昔の
夏休みを
思い出させた


例えば、まだ
ぼくのお父さんと
お母さんが
出会う前のことや


八月-
すべてが黒く塗りつぶされた
メリーゴーラウンドなんて
なんて
銀河みたいなんだろう!


陽の当たる産廃置き場で
軍手を干している
自称、建築現場作業員
或いは
白の洗濯物だけが
風に飛ばされている日々


熱帯夜


眠れず、
鉄塔の上で
一人。


現実的な
話をすれば
毎日、
指と指の隙間で
殴っているし
殴られている
名前のない戦争
ほとんどの人間はだいたい法律には触れない
キリストを殺した奴だってね
捕まったりしないのだからね



田舎から出てきて
二十年
まったく振るわない男が
下着を盗み
においを嗅いで
朝がた
なみだを流し
人生は
喜怒哀楽だといった
おばあちゃんを


おばあちゃん子だった
かつて
あのあぜ道を歩いた
二つの
やさしい影



確かに存在する
2010年
3月28日という
この一日を
思うように
感じたままに
生きようと
思うことはある


それから
せめて今日一日は
我慢していよう
できるならば、耐え忍んでいよう
という
考えることもある


詩の朗読を、するということは
俺にとって
その折衷案である


例えば、宇宙にゆくと
一つの星と、一つの星の
距離の間隔が すごい遠いのに驚く
このように
宇宙って、
ほとんど  
田舎なんだよ


それから
都会の、高田馬場で。
私は、
ゲストとは思えない
文章力も
また、持ち合わせている
構成力や
完成度は
結構、
疲れるので


時々思う。
詩は
作りこまなくてもよい
アートの
最後の
砦では
なかったかと。


小さなころには
振り子時計の
なかに住んでいる人がみえたものだ
信号の青のなかに住む鳥や
ハロゲンヒーターのなかに住む古代の火の精霊が


でも最近また
見えだしてきた
仕事をやめたからだろうか
そう
病院もやめた


どのサナトリウムへ行っても
俺が一番健康的で生き生きとする


サナトリウム


ひざを組み
つま先を高く上げ
タバコを吸って
見上げている


忘れられた
森の中の
玉座で。


土ふまずは氷り
アロハシャツには 
つたが絡まり
髪の毛のなかには
埃と花粉の
地層ができあがり
君を
自由にはいまわる
青虫たち
鼻の穴で眠っている
二匹のさなぎも
やがて 
世界に飛び立ち
光の
中へ。