健常者と障害者という立場と言葉があるとき
自分はそのどちにらにも属せぬ微妙なところにいる
自分は精神科に通院しているが
仲のよい友達やライブハウスで俺を見る人は
俺にはそんなことは必要ないし
そうする必要もないと皆言い切るだろう
そうしてそういう見解について俺は理解できる
俺は自分について直感的に病気だとは思ってはいないが
病気という診断は
単にその時代、文化に適応できないということなのでまあどうなんだろうね
適応したくなるほど魅力的な社会に感じられないが。
むしろこういう社会からからの悪影響を出来るだけさけて暮らすにはどうすればいいかと考えている
逃げ腰だ
電気やテレビがたまを、たまらなくうるさく感じる
せめて自分の呼吸している感触をたまに感じたい
性格の偏り、
ブログに人類とかいうワードが頻繁に出てくるような奴なんだからそういう意味では性格に偏りがあるのだろう
けど何を基本?となしての偏りだといえるのだろうか?
性格とはそもそも=偏り ではないのか
デイケアで合う統合失調症のメンバーが正月にロンドンに行ってきたという
とても楽しかったらしい
たぶんアフリカの舞踏民族の村に生まれていたら俺はいたってノーマルだろう
単に周囲との関係性だろう
ローラパーマーは精神科にも通っていたしコカインをしていた
学園のアイドルでありながら体を売り、悪にのりうつられた父に犯されもした
ローラパーマーは衝動的である
なぜ衝動的なのか
それは常に彼女が揺れ続けているからだ
衝動的とは、事象に対しての生真面目すぎる反応だともいえる。
そういう意味でインターネットは今の時点で俺と相性がいい
実際に会ってない人にも繋がれるし
好き放題書いても限られたスペースでやっさてれば他人に迷惑をかけないし
いま、ここで、すべてという意味では禅的でさえももある
俺には話し相手がいないが俺にはすべてを語ることが必要なのだ。