やっていたネトゲ2chスレッドに実名が晒されたりして
ちょっとの間ブログを閉じていた
まあ俺は脇がてきとーに甘いし、結構本当はどうでもいいと思うところもあったりするが。
2ちゃんねるの詩・ポエム板で幹事を務めていた時、朗読会スレッドが板から締め出された時の感触に似ている
(ローカルルールで朗読会スレッドは、詩・ポエム板ではなくOFF会板に行け。というものだった)
俺はみんなのことが嫌い
みんなは俺のことが嫌い
何か、おのおのが元々持っている分母による相容れなさ。



キリストを見殺しにした無名の人たちというものにこだわって憎んでいる
俺もそうであるかもしれないが、だとしても俺を含めて告発したい



人の役に立つことをしたい、という言葉をよく聞くが
仮にほとんどの人がろくでもない欲求を抱いている場合、それはただ世界にろくでもなさを加算するだけではないか





人は不安や混乱から逃避する傾向がある
逃げるということ自体はかまわないのだが、
その自我の保身の為に、誤った認識が強く長く信じられるということは問題だと思う
人はトラウマを持ちやすく、解放されにくい。




コンピューターが知性を持ち、人間社会を凌駕しはじめるというストーリーはありえない
そういう発想を多くの人がするということが俺にとっては信じられない
コンピューターと私との明らかな違いを感覚的に分かっていない、という状態でないとそういう発想は出てこない。




スーパーコンピューターがある人間の死の時間を予測出来たりはしない
データを入力し、計算させればそれが得られると多くの人が信じているようだが
数値化、及び言語化出来ない領域があるということをこう簡単に見落としているのはなぜだろうか。