to be はみだしっ子


今から約8年か9年かそのくらい前
2ちゃんねる 詩・ポエム板発の朗読会の主催を皮切りに
詩学という商業誌詩(現在、廃刊)での連載をはじめたりしていた俺は
まったく詩について勉強したことのないズブの素人でありながら
その生意気なスタンスと思い込みと行動力と輝くセンスとバランス感覚と率直さと囚われの無さと声のキーの高さと権威に対する反抗心と
まあそういうものと
まあなんだ、、


2ちゃんねる 詩・ポエム板のローカルルールで朗読会はオフ会でやるべきというのが決まって
俺は京都のマンガ喫茶でオナニーをしながらというか
したあとにそれを知ったんだが
まあ潮時だとうすうす感じていたので
2ちゃんねるから無力無善寺
現代詩的な脳の閉塞状態から、実直な生活する人間のこえと言葉へ
シフトチェンジする段階だと感じていた


エスマイクロフォンと詩のdaysというイベントを数発行った後
はみだしっ子たちの朗読会を月1で
第四水曜日か


ニューヨークのポエトリーリーディングをお手本にしてはだめだと思った
ベクトルが違うからな
日本人はシャイであるし
今日死ぬか生きるか殺すかって時に
急にポエトリーとかスポークンワーズとかオープンマイクとか言われても困るよな



歴史に名を残すような芸術家というものは
言い換えれば、行き過ぎた馬鹿正直であると思う



都内の朗読会をまわって宣伝したりしたが
地元の商店街や
とにかく地元まわりにせっせとちらしを貼った
俺は詩の愛好家の集いを作りたいのではなく、人間の愛好家の集いを作りたいからである
詩は手段であると思う
目的ではなく手段を追求する現代詩は本末転倒ではないか




俺は原子力発電所は嫌いだが
車も嫌いだ
車に乗ってアクセルを踏んだ時に快楽を感じる人間が嫌いだ
集団や組織が嫌いなので
どこにも属さないしデモにも参加しない



であるから私は
オナニーかネトゲか詩の朗読しかない
というところに
ゆきずまっているのです。











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