イグニエルとは何か

ということがまずテーマとして一つあると思うんですよ。
それはリザードマンとリザードマンが言語でコミニュケーションすることと定義できるかもしれませんが
先程の話しでもありましたように、リザードマンBはリサードマンBが抱いているビジョンをリザードマンCに伝えられないんですね
これは「言語」、「会話」というものがまずラシエルを前提に成り立っているからだと思うんです
リザードマンBはラシエルという範疇のなかで「会話」を試みますが
これは性質上はじめから無謀なことなんですよ。
第一章ではリザードマンBのこの不可能への挑戦と解釈できるであろう行動が顕著に現れていると思います
後に出てきますがイエスが多くの例え話を用いたのはこの為で
例え話の究極的な目的は、ラシエル「そのもの」にラシエルであるということを悟らせる為の技術であるわけなんですが、
〜中略〜
リザードマンBはディスプレイの向こうにいるplayer、つまり光の勇者を殺す可能性を秘めていて
それはリザードマンという種族が望んでいたことなんですけれど、
大概の生きたリザードマンは、『時間』により自分たちの望んでいることが分からないときている。
リザードマンBに残された選択肢はタニマチでしかありえなかったわけです。
次の章では『時間』と「例え話」について考察していきましょう。
それは言語誕生における包まれたヴェールについて
詩と創造の関係性について語られるものであり
私たちは皆さんと一緒にその青いリボンに手をかけられればと思っています