作品の体裁について

作品の体裁を成している、ということも大切なことなのだろう
なぜなら単純に、俺の書くものによって傷つく人というのも事実いるからで
それが俺の本意でないにしろ
社会において、本意じゃなきゃ何言ったっていいのかという
思いやりについての問題に関わることもあるからである。
つまりこれは芸術論ではなく、思いやりの話だ。
俺が自称孤高のアーティストや悲劇の何とかを
おならぷーとかお前がサロンで議論してる間におまえの女を寝取ってやるとか
JAに就職して親孝行しなさいとか言って一蹴したがる傾向にあるのは
のちに発狂したり自殺したりしてしまう芸術家、或いはその芸術家を育んだ社会背景というものから
一段階あがるべきタイミングだからと今の世界状況をみて考えているからであり
なるべくなら人間は、ひどい苦しみを経験しないほうがよいと考えるからだ。
詩とは何なのか?という命題は、
詩とは何だと思いたいのか?詩とは何だと信じたいのか?という問いによく似ているものだ。
そして世界とは、人々が信じたいものによって成り立っているというところもあるから
ある程度は、この現実の世界を尊重し認める必要がある。