なぜ暴走族を殺してはいけないのか


うちは大通り沿いで
暴走族や
わざとうるさくしたバイクや糞みたいな音楽を大音量でかけたオープンカーが走るたびに
0歳の赤ちゃんがうとにはいるのて思うのだけれど
なぜ暴走族を殺してはいけないのかと思う。
共生で和だからか?
過去の俺だからか?
人類皆兄弟で持ちつ持たれつだからか?
でもまあ、暴走族を殺すことを許すと社会全体の秩序が乱れるからかも知れないな
詩人だから殺していいとか
路上で歌ってる奴はうるさいから殺してもいいということになりかねんからな
だから俺は暴走族を許さなくちゃならない
いやだけれど。


警察がどうにかするかも知れない
ばれなければ吹き矢を吹いたりしてもいいかも知れない
でも暴走族の騒音自体よりも
吹き矢が刺さり事故って死んだ暴走族を法律で救う動きとワイドショーが俺を捕まえにくるだろう
そして次のニュースが流れる
共生とは、抑圧のことだな
だから手首を切って己を確かめなくちゃならなくなる
みんな大丈夫かい?
事件が起こると責任問題が問われ
傾向と対策が施されルールが増えるたびに俺たちは前より息苦しく動きにくくなる
生命最大の才能は適応能力だと思う。
だが俺は生命という概念に挑戦しているつもりだ。
だから時折存在が透明になる。
ちなみに俺は湘南爆走族が大好きで全巻持っていたからこれは因果かも知れんな
有名になってオーラの泉でそれは因果ですって言われるかも知れんな、知らんけど。
でもユリゲラーなら俺に何て言うだろうか?
スプーンじゃなくて一緒にバイク曲げようぜ


註・・・詩です。