中1

サッカー部に三年間所属。ツートップの片棒及び右ウイング
いまはウイングとか言わないか
キャプテン翼が流行っていた
俺はちばてつやのアシスタントをやっていた人のイレブンのほうが好きだった
主人公のスペシャルな必殺技について子供ながらリアリティーを感じ取れなかった
サッカー部の仲間と俺んちでファミコン大会などを開催した
ナムコの初代ファミリースタジアム
パリーグ3チーム選抜のレールウェーズが強かったよね
そして音楽
ボウイからバンドブームへ
小遣いはすべてレンタルレコード代
あの頃はカセットテープだった
ゴミ捨て場なんかに捨てられてるカセットテープを拾ってきて再利用した
ブルーハーツ、パンクロック
バンドをはじめる
不良仲間ともつきあいがあったし
今でいうおたくに属する友達と自作のテーブルトークを楽しんだりもした
俺とみんなの違いは、自分がどこに属しているのかということが不明だということだ
スポーツ少年でもない
不良でもない
おたくでもない
平凡でもない
そこに全存在的なコンプレックスを感じていた
『マノー、なんでお前あがな奴らとつきあっとだいや?』 「うーん、わがんね。。」
『馬野君はなんであがなんとタムロしよるー?』 「うーん、わがんね。。」
中1の一学期には学級委員長を務めた
中1の夏の部落解放キャンプに学級代表で出席し他校の女子との交際をはじめた
何もしなかった
ただ花火大会に行ってアディダスの帽子をあげた
若林君のやつ
高かった確か4000円か5000円くらい
人の目を見つめる癖があったので先輩から「何ガン飛ばしとっだいや?」ということがたまにあった
その人たちとも数年後に深く交流することになるが・・
内申に徹底的に反抗した
教師と、内申に従順なクラスメイトに同時に抵抗するためには
ユーモアと比喩を必要とした
まず自分が孤立した位置にすすんで歩んでゆき、そしたなるべく他人について責めないこと。
カッティングシートで水玉試用にした自転車に乗っていた
自分ではもてると思っていたが卒業式にボタンをもらいにくる女子はいなかった
いなかったというか俺が自意識過剰のために即効で帰っちゃったからな。
そういう馬鹿さは今でもある。