雑記

いまうちには一歳八ヶ月の息子『龍子丸』がいるが(りゅうしまる、以後:丸)
丸が高校生とかになってニキビだらけの顔でオナニーするとか考えられない
丸が西口の雑踏で立ち尽くしてるとか考えられない
もうそれは俺がしたからいいじゃないかと思う
丸が大学のサークルの歓迎会で一気をするのを考えられない
丸が上司と部下の間でストレスを増大させ胃痛がするというのを考えられない
だいたい俺の今だって考えられない
あと5年で40歳になるという!
俺はたぶん理想家でロマンチックだと思う
夢みたいなことを考えるのが好きだしそういう風に人格を形成していかなければ持たない
環境というものがあったのかも知れない
だが俺が電波やおたくやファンタジー小説家、同人作家でない理由は
理想やロマンチックを追い求めながらも
そのなかに出来るだけ現実、事実を組み込みたいと思っているからだろう。
その両極を同時におい求めることが俺の表現力の根源だと思うし
その作業が中断されるということはつまり俺にとって俺が生きる意味を失うことになる
意味-
仮に運命というものにレイプされ続けることが人生であるとするならば
いや、運命にも仕組みがあるはずだ
俺はその仕組みそのものにタッチし、交換したい。
俺は観察と行動を俺は繰り返す
そういう意味で死に物狂いで生きながら倒れていった人類を弔わなければならない
現代のどんな仕事でも炭鉱で働くよりはましだ
それを未来への希望へとつながなければならない


なぜさみしいのか
それは俺が本当の俺の仕事をしてないからじゃないかと思った。


甲が乙をなんていう
契約書にサインしたくない
俺の目をみてわからないのか?という
みのまわりの友達たちが傷ついて倒れるのを見るとはやく理想を実現しなければと思う
だがそのためには友だちじゃない人たちの意を汲み取らなければならない
なぜなら本当の革命とは権力の交代劇ではないからだ
いじめられっ子の仕返しは革命じゃない
だからすごい時間がかかるかも知れない。