サルコウ

最新の携帯のマニュアルと契約書をまともに全文読んでたら次の機種が出ちゃう
クレーム対応も俺と同じ派遣なので話が進まない
解約するという項目が見つからない
日曜日の意味がない
コンピューターウイルスを撒いているのは誰なんだろう
ただ俺たちは優しげな笑顔を浮かべながら
時代だとか
霊魂だとか言いながら海の底に沈んでいくというのか
泳ごうとすることはハシタナイ
あるいは泳いでみたってどこにもたどり着けはしないさ
何も起こさないために皆が何かを維持しながら相槌しているようだ
それが深いのだという
人間の業なのだと
カルマなのだと
調和だと
ささやかな愛なのだと
くだらない
全部くだらない
そういうものは全部俺を殺そうとする
俺はまるでクラクションを鳴らされて逃げ腰
安全平和クラブとか名乗りながらみんな盾で殴り合ってますからね
メモしますよ。




メジャーがいやで
インディーズがいやなら
勝手にしやがれ





悪と善を混在して書いてみる
つまり分別を無くしこだわりなく
自由に書くということを突き詰めることだ
どちらかについて書くのは簡単なのだ
何々について書くことは簡単だ
だがそれは詩ではない。
そうして
これは、まず悪をおおっぴらに認めることにより
抑圧された悪の被害を防ごうという試みでもある
そして人間内部への可能性への挑戦でもある
これは書き手のみならず人類の挑戦でもある
自由に書くということは
キーボードをでたらめに撃つことではないし
徹底的に自己を排し
自動初期のように書き立てるものでもない
芸術を志す人は
一人で何人分もの人生を生きなければならないかも知れない
だが注意しておくべきことは
社会生活において悪と善を混在しながら
なおかつ皆と協調して生きていくということは困難を極めるということだ
分裂病になったり体調をおかしくするかも知れない
あるいは破綻者、狂気の男、自殺志願、人殺し・・・
そうすると芸術や表現というのは非常に難しくなってくる
芸術や表現がその人を平和から遠のかせてしまうというのはどうだろうか?
かつての時代にはそういうことがままあった
アーティストとは乱暴者で狂気の人であった
俺は少しそれは
これからの時代に合わないと思う
時代に合わないというか
それじゃ比喩が足りないじゃないかwと
孤独や悲劇の肩に三村のように突っ込むのだ
そうして俺は突っ張って生きてきたのかも知れない
俺は強引に生きてきた
そして今疲れた。もう俺の宇宙は拡大をやめよう
それから子供たちをみるとき
やっぱり少し未来に期待してしまう
詐欺も法律も芸術もレイプも空腹も食料ももう少し減ればいい
ただ皆のこころが幸福であればいいのにと
ただこの〆だとあまりにも曖昧になるね。