焼き鳥について

4歳の息子が焼き鳥が好きなので
鶏肉が好きで
棒に刺さっているものが好きなので
焼き鳥がすごい好きなのだろう


だから昨日も家で焼き鳥を作った
ダイソーで串を買った
フライパンで鶏肉のももをある程度焼いておき
冷めてから串に刺し
仕上げはこたつの上でオーブントースター
エバラの焼き鳥のタレは少し甘すぎるかもしれない
丸(息子)は、「おいしいおいしい」という
それは嬉しい


田舎から大量に野菜が届いたので
豚や牛にネギを刺し
練馬のスーパーで買った徳用の肉団子をつくねにする
仕事仲間と飲んできたエリもレンジで温めて焼き鳥を食べた
エリは引っ込み思案なので、東京でエリの友人が出来ることは俺も嬉しい
おいしいと言った
俺はあまりおいしくなかった
自分で肉というリアルさをちぎったり切ったりしていると、あまりうまくない気がする
魚も、自分でさばいているうちに、刺身になる頃には気持ち悪くなっている
その、生のリアル感に。
金払って、椅子に座って、いろいろなものが出てくるほうが楽だよな


分業化、細分化された現代社会で
生き物を直接、叩き、殺し、さばき、食う
ということは、なるべく避けたい事項ながら 自分たちの足元を確かめる重要なことかも知れん
敬々さんが、そういうイベントをしたい と言っていたのを思い出した。


都市の管理されたビルディングの
例えば、六本木ヒルズの回転扉の隙間に一匹の芋虫の死骸があるだけで
俺たちはなぜこんなにも混乱するのか
山手線の電車の中で舞う、一匹の蛾やハエに日本人はおろおろする
その時、日本人にとっての愛と絆ってなんだよ?



平等とか人権以前に
まず俺たちは、生き物を殺して生活している
野生の猿が一匹、街に降りてきただけでその捕獲の様子がニュースになるなんて
どんだけ俺たちは間抜けな未来社会に生きてんだよwと思う




人と人の間も、また 基本的には弱肉強食であると思う
それを前提に、なるべく多くの人が幸福になるにはどうすればいいか。ということを考えないと進まない
その前提を無視して、レズビアンが集会開いても、専門家が眉ひそめあってもまた繰り返しだろ



新たな通り魔でデビューし
何人殺し、
誰でもよかった、というコメントがニュースで発表されるとき
俺たちは、彼の中に自分自身の闇の部分を見出したほうが得策であると思う



GPS付の携帯を子どもに持たせ
学校の門に鍵がかけられ
オートロックの建物を増やしても
俺たちはまるで安全にならない
なぜなら、既にその建物のなかにいる俺たち自身に 悪があるからである




ガードマンとボディガードを1000人雇っても、どのセレブも幸せにはなれない
悪は排除すべきではない
受容すべきだ
幼いいたずらっ子を認めるように



そして恐れていたその影さえ
実のところ、自分たちが承認した幻なのだ