チェッカーズ

小学校高学年でチェッカーズが流行った
俺はチェッカーズで歌に目覚めた
自分が一番最初に人生で真剣に叶えたいと思った願いは、あのように歌うということだった
教室の後でそう祈ったことを憶えている
当時、自分がそのように歌えているということを俺はまったく知らなかった


下校中に空想の歌のトップテンを開き、フミヤが死んだ代わりに俺がチェッカーズのボーカルになるという妄想を抱いた
友達と一緒に帰るというようなことよりも、そういう空想を大切にした
伸ばしていた前髪を、母に切られた時は命を切られるような衝動であった
射精と自慰をおぼえ、俺は自分が夜していることと現実世界との帳尻を合わすことに苦戦していた
程度の差はあれ、たぶんそれは今も同じかもしれない
女性にひどいことをしたいという欲求への戸惑い




昨日、家でギターを弾いてチェッカーズを歌った
時間という概念をほとんど感じずに、こういう風に歌うのは何十年ぶりだろう
目をつむったら、はじめての曲でもだいたいコードが分かる
ギターを弾きながらチェッカーズを歌うという発想がいままでなかった
何でだろう
ギターでチェッカーズを歌うというのはアーティストっぽくないからだろうか




プロフェッショナルとかエキスパートというのに、若干の抵抗をおぼえる
なぜならプロ意識の高い人というのは、苛々しているからだ
些細なことで怒るような気がする
居酒屋で、60点の上司が55点の部下に人生を説いているような雰囲気がする



プロフェッショナルという意味で
俺は甘っちょろく
詰めが甘い
あなたはミュージシャンですか?と問われれば、
分からないが
歌は好きだ、という事はまあできる




大きくなったら何になりたい?と、幼い子どもに訊ねる
だが、なぜ
何かにならなければならないのだろうか
なぜ、言葉で説明しうる、何かにならなくてはならないのか?