自分とアスペルガーと宇宙の研究

劣等感が根にある
適応しない、合わないという
俺にとったらスーツを着ることも作業着を着ることも多分コスプレだ
働いている頃は、働いている自分が格好良く思えた お、俺適応してるな!社会のなかの人みたいだな!みたいな
そして社会の中で働いたり疲れたりする人の真似までしてしまう
十代の頃競馬に行っていたがあれは競馬をしていた父や日雇い作業員の真似をしていたんだと思う
真似のためにお金をするのだからね
俺は生活に困っていなかったが馬券を拾い集めて家に持ち帰ったりしていた
本人は成りきっているのだ
今もたぶん若干そうだろう


社会とのわだかまりはずっとある



社会を、わけのわからないもの。として見ながら
例えば頻繁にブログで俺が「キリストを殺した人々」といって語る無名の人々を、群集というものを
時に痛烈に批判するのはなぜだろうね
俺に適応を要求する社会への反発や怒りや仕返しだろうか?
俺は、群集という言葉を聞くだけで腹がだってくる
けれども、群集なんて人は一人もいないんだよね


例えばアスペルガーの人たちが数値や事実という絶対的な価値基準をツテに生きているとして
ではアスペルガーでない人間は一体何を基準にこの広大な宇宙を生き抜いているというのだろうか?