ラストクリトリス

今日で今年の保育園は最後だ
丸をのせて自転車に乗る送り迎えの時間にする会話は楽しい
時々空想の友達の名前が出てくるのでハッとする
保育園をはじめとする少しずつ見えてきだした現実の世界と、絵本の世界とのギャップを埋めようということかも知れない
絵本や「おかあさんといっしょ」では、--みんな友達--信仰が広められ信じられようとしているが、実際は違う。
丸は保育園のお祭りで、アンパンマン音頭の輪に加わることに泣いて抵抗した
丸にとっての理想や友達やパーティーというものと、それとはかけ離れていたんだろう



サンタクロースはいる→サンタクロースはいない、それはパパやママだ。
というふうに、これから世界観の変更を迫られるはずだ。
俺ぐらい言葉に対して真面目なおっさんであっても、子供が納得するように説明することはとても難しい。
やんわりと誤魔化し、問題を延期させ、時には欺いているのではないかと思うこともあるが
もっとも大切なことはユーモアとスキンシップだろう
抱きしめて、決闘をして、おんぶして、ぶつかって、ギャグを共有するっていう。
いま現在、息子を一番笑わせられることが出来るのは俺だ
仮面ライダーずこずこというずっこけオリジナルライダーを作ったり
丸との遊びの価値観のなかに新しい風と概念をスマートに吹きこむ
常に子供が「これが当たり前なんだ」と思い込みはじめているものを見つけて俺は破壊する
笑いと共に。


そろそろ俺も少しずつ、パパから一人の俺という人間の姿を見せ始めている
昨日、丸に「パパはヒーローだと思う?」と聞いたら
丸は、「パパはヒーローじゃない」と言った
トラウマを作らまいと3歳になるまでは、俺自身に抑圧に抑圧を重ねた
俺の父もよく街でトラブルを起こしたが
俺もそうであり、息子はそういう俺に怯えている
そしてそれは分かっているのだが、俺も、
よいパパという概念のなかにかわいく収まっているほど、もともとが
生まれが、ほめられた人格をしていない。
お父さんの無秩序と混沌は地下奥深くでマグマのように待機中で
スターウォーズのラスボスみたいに
俺もいつか君から自立するだろう
それにしろ、
少子化とか何とかはまったく関係なく、子供を持つという経験はとても素晴らしい体験だよ、みんな!








義理の父が子供を虐待するというニュースをよく聞く
子供も、義理の父も、お母さんも 悲しくなる 社会というのは どういう社会であろうか
北朝鮮のトップが死んで地面を叩き泣いている人々をニュースでみたが
俺たちも戦争で負ける前まではあんなもんだったんじゃないか?
ほんの数十年前だ



現代の日本人とは、スマートなふりをしている 田舎者にみえる。
北朝鮮があほのに子の住む別世界にみえる
韓国よりましで
中国は潜在的な脅威ではあるが現時点では俺たちのほうが進んでいるし
他のアジア諸国は子分だろう
そして、フランスにアニメやコスプレが評価されると喜ぶ
ということで日本人のアイデンティティは成り立っていないか?




そこには、人類【俺ら】が何のために生まれてきて
俺たちはこれからどうしたいか、というビジョンがまったく無い




これは、
野田総理にでも官僚にでもフジテレビにでもなく
個人、一人一人に
常に、突きつけられる率直で本質的な問題だ





テレビや新聞に取り上げられない場所で
死に物狂いで
守るべき家族や自己の利益に反して
活動している政治家や役人や研究者やメディア関係者や無名の市民は、世界に実は沢山いる
日本人の市民は常に安全な立場を確保しながら与党を批判している
おまえら、ほんとうは自民党でも民主党でもどっちでもいいんだろ?





日本人はこれから
個人レベルで自分の態度を決定していく必要があると思う
言葉にして
よりよい社会(人々の集まり)を作るにはどうしたらいいのか、
高倉健が「不器用ですから」と沈黙を守っている間に次の原子力発電所は爆発する
もう、シャイと空気読めではやっていけないよ
おとなしくていい子が放火や通り魔をする
閑静な住宅街で殺人事件が定期的に行われる
俺たちはそのニュースをもう見飽きてるんだろ?





仮に、
権力の腐敗というものがあるならば
それは脳天気で物事の本質を考える勇気を避けつづけ、流行という風邪な臆病者たち
豚や牛を殺し、その肉を喰らって明日の安全と利潤について想いを張り巡らしながら被害者意識がやまない
このクソのような俺たち市民の増長と比例している
自我の増長した独裁者を育てるには
市民生活の中で自我の発揮を避け続ける大量の市民が必要なのである。
これらは比例している
そして、ハンドルは私たちが握っている
ハンドルを私たちが握っているということを認めさえすれば。



君は、野生の熊に襲われたことがあるか?
なぜ、明日想定外の隕石が落ちてきて
人類が滅亡するかも知れないという想像力を
当たり前のように欠落させているのか